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文化・芸術

2008年6月 5日 (木)

春日大社の境内

この日(5月25日)の春日大社の付近は雨天で大粒

ではありませんが、霧雨が降りしきる天候でありまし

た。

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別料金を支払って本殿に入っていくとお堂の中に

燈篭があり、フラッシュなしとフラッシュありで撮影

してみました。

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このあと、お参りを済ませ、数か所ある参拝所を

周りましたが、縁結びの社で吊るしてある絵馬に

は結構エグイ事というか念が込められていて、新

緑に囲まれたこの霊山には俗人の様々な欲望が

おどろおどろしく渦巻いているのだと感じました。

帰り道、脇には「神域につき立入禁止」と云う立札

があちらこちらに立てられておりました。

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2008年5月28日 (水)

安土城址と信長記念館

八幡山をあとにして、次に向かったのは安土城があった

安土山にタクシーで向かいました。タクシーでは約20分

ほどのところにありますが、今回は時間の都合で入口迄

来て、近くに建てられている「信長の館」と「郷土博物館」

に向かいました。

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安土城址は信長ファンが多数訪れているそうですが、ほと

んどの方は肩を落として帰られるそうで・・・期待しすぎだと

は思いますが、そんな状況であるとタクシーの運転手さん

は笑って仰っておりました。

織田信長は安土城を建築し、その強大な力を誇示していま

したが、盛者必衰の言葉通り1582年重臣の明智光秀に謀反

され、49歳の生涯を閉じると共に、豪華絢爛な様相の安土

城も火を掛けられ灰燼に帰してしまったのであります。

かつて信長は徳川家康がに参りました折、松永久秀と云う三

好家の元重臣を紹介し、「この老人は、主家三好家に謀反し、

将軍(足利義輝)を暗殺し、奈良の大仏殿(東大寺)を焼失さ

せた、普通の人間では到底為し得ない、悪逆を行った物騒千

万な老人である。」

と云う様な事を申しましたが、実はこのように申した信長自身、

「主家である尾張守護の斯波家を国外追放し、守護代の織田

本家を乗っ取り、将軍(足利義昭)を追放し足利幕府を滅亡さ

せ、比叡山延暦寺を尽く焼き尽くした。」

のであります。

「草枯らす 霜また今朝の 日に消えて

                 因果はここに 巡りに来にけり」

「草枯らす 霜また今朝の 日に消えて

                 報いのほどは 終に逃れず」

                           三好物外軒実休

織田信長は結果的に明智光秀に殺されましたが、羽柴秀吉・

イエズス会に殺されたと云う説も最近浮上しております。

いずれにせよ異端児であるがゆえ敵は多かったのであります

織田信長がもう二十年長く生きていれば日本の近代がもっと

早く訪れていただろうと云う学者・知識人は多いのであります

が、もし生きていれば、朝鮮は当然ながら、明は政権末期で

ありましたので、当時世界最強の軍隊を保有していた日本の

力をもってすれば切り取る事は可能であったと思いますが、

どれだけの期間保持できたかはわかりません。

なぜなら中国大陸は時代時代の狭間で乱世となり、国土自体

保有する事は案外簡単の様ではありますが、政権をどれだけ

保持出来るかどうか、それが一番難しいのであります。

(今までの最高は漢帝国の前漢・後漢合せて400年であります

。(但し途中で「新」に10年程分断されています。)

周については前1100から細々と前200頃まで命脈を保ちまし

たが、国家の規模としては小さく、統合するものの名称は「王」

でありまして、秦王政から称した「皇帝」とは比べ物にならぬほど

権力は小さく、部族の長か、せいぜい祭祀君主程度であったの

でありましょう。

さらに余談ではありますが、「秦」「晋」「越」は漢民族の国ではな

く異民族なのであります。

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※「信長の舘」の写真につきましては、著作権があることから公開

は出来ませんが安土城の天守閣が展示されています。

2008年5月27日 (火)

豊臣秀次卿の銅像

八幡山ロープウェイの乗り口より徒歩で10分ほどの所の公園に

豊臣秀吉の甥で後に秀吉の養子となり、関白となった「豊臣秀次

の銅像が建っております。

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政治的な思惑で実の伯父であり、養父でもある秀吉に切腹を言い

渡され1595年28歳の生涯で幕を閉じています。

イメージ的にはあまり良い印象がなく、記憶にもあまり残っている様

な人物ではありませんが、近江八幡の街区整備・・・いわゆる街づく

りを行い、発展に貢献したと記録されている。

おそらくはかの地に幕府を置くつもりであったのかもしれませんが、

今となっては真相は不明であります。

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2008年5月 5日 (月)

楼閣の乙女

幾度も 乗越えべくと 試みど 高楼壁下 嘆息涙す

楼中に 眉目麗しき 乙女在り 得んと欲すれど 甚だ難也

差ながら 水面の月を 掬うが如し 我が身の影を 掴むが如し

足引きの 山蔓影 真柴にも 得難き影を 置きや枯らさむ

(足引きの~は万葉集比喩歌 意訳:滅多に見られないような影

の様に見事な女を放っておいて老い朽ち果てさせて良いのか

すぐにでも手に入れよ)

                       平成十九年八月二十五日

Ogura003

柳は緑 花は紅

仏は法を売り 祖師は仏を売り 末世の僧は祖師を売る

汝は五尺の身を売って 一切衆生の煩悩を安んず

色即是空 空即是色 柳は緑 花は紅

水の面に 夜な夜な月は通えども 心もとどめず 影も残さず

Pict3502

2008年5月 4日 (日)

風姿花伝-秘すれば花・・・

04090037 秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、という。この違いを知る事が、花を知る重要点である。そもそも一切、諸道、諸芸において、その家々で秘事とされるものは、秘することによって大きな効用があるゆえんである。

つまり、秘事は露見すれば、秘密にしておく程のものではないのだ。これをそれほどのものではないという者もいるが、それは未だ秘事の大きな効果を悟らぬゆえである。

まずこの花の口伝、「ただ珍しさが花なのだ」ということをすべての人が知ってしまえば、さあ、珍しいものが見られるはずだと思い期待する観客の前では、いくら珍しい芸を披露してみたところで、見ている人の心に珍しいという感覚が生まれるはずもない。見ている人にとってそれが花だということがわからないからこそ、シテの花ともなるものなのだ。されば見る人が思いのほか思いのほか面白く演じる上手だ、とのみ感じ、これが花だとわかっていないことがシテにとって花となる。つまりは人の心に思いも寄らない感動を呼び起こす手立て。これこそが花なのである。

たとえれば弓矢の道の手立てにも、名将の案と計らいにて思いも寄らぬ手立てで、強敵にも打ち勝つ例がある。これは負けた側から見れば、珍しさの理に惑わされて、破れてしまったのではなかろうか。これが一切、諸道諸芸において勝負に勝つ理である。こうした手立ても事決して、こういう謀だったと知れてしまえば、その後は、何のこともない。が、前もって知らなかったからこそ負けてしまったのである。

さて、これを秘事のひとつとして当家に伝承する。これにてわきまえよ。たとえ秘事を明かさないにしろ、かような秘事を持つらしいと人に感づかれることさえあってはならない。人に感づかれる時、敵であれば油断せずに用心し始めるので、かえって注意をひきつけることになってしまう。敵方に用心さえさせなければ、勝つにはいともたやすい。人に油断させ勝利を得ることは、珍しさの理の大きな効果ではないか。

すなわち当家の秘事として、人に悟られぬことにより生涯咲き続ける花を持つ主となることを授ける。

秘すれば花、秘せずば花なるべからず。

(現代語訳 風姿花伝 抜粋)

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