春日大社に入る前にたどり着く万葉の植物が咲く「神苑」へ。
霧雨が落ちていたので、入り口前の売店で傘を購入してから
中を散策した。
あとで、わかったのであるが、ここの売店は「古代粥」と云う
カユを出してくれる店だったらしく。食べ損ねてしまったのが、
唯一の心残り・・・
苑内は霧雨で、かつジメッとして、時折蚊がまとわりついて
来て、鬱陶しい気持ちでいたのだが、季節柄の植物が群生
していて、華やかとは言い難いのでありますが、趣があり気
持ちが落ち着くような場所ではありました。
上の写真は、現代名:オミナエシ 万葉名:をみなへし
「手に取れば 袖さへにほふ をみなへし
この白露に 散らまく惜しも」
作者不詳
池の鯉・・・餌付けされていて近くには鯉のエサが
もちろん有料で置いてありました。
たとえて云うなればピラニアの如くなり・・・![]()
続いては神が降臨する場の神苑。
不思議な雰囲気を感じました・・・![]()
京都タワーの次は清水寺に行って参りました。![]()
本当は、三好之長が自害した「百万遍知恩院」や
応仁の乱の時の主戦場の「相国寺」、寂しく悲しい
いわれのある「あだしの念仏寺」など見たい行きた
い所はたくさんありましたが、重い荷物があり、更に
奈良の宿へのチェックインが迫っていて時間がなか
ったので、駅から近くて有名な所と云う事で「清水寺」
と致しました。
あいにくの天気で、更に間が悪い事に、境内に差し
掛かったところで雨粒が大きくなり、傘を買い損ねた
私はずぶ濡れになってしまったのであります。
17年前と変わらず、修学旅行生が多く、邪魔ではあり
ましたが、あくまで個人的な意見と云う事で・・・。![]()
帰りに参道沿いのお店で扇子・・・鳥獣戯画の扇子と
舞い用の扇子を一つずつ購入し、奈良へ向いました。
![]()
向かいました。
あいにくの天気で、さらに時間がなかったため、とりあえ
ず京都タワーに行き、1階で土産を購入し、タワーの頂上
へ昇り、途中で京都タワーのマスコット人形に出くわし、
観光客に騒がれておりました。
思えば17歳の時に昇って以来ですので、かれこれ18年
振り
年月が経つのが遅いのか早いのか・・・過ぎ去って
しまえばあっという間なのでしょうか・・・![]()
写真はタワーから駅に向かってなので、おそらく上京の方
角であると思います。
かつて上京は富裕層の住む地域で下京は貧民層が住む
地域であったようですが、現在も構造はあまり変化してい
ない様です。
そして降りる途中にいた舞妓の人形です。
昔、本物の舞妓と記念撮影をしたことがありますが、大人
になった今となっては、記念撮影ではなく舞妓さんと一緒に
座敷で遊びたいものです。![]()
![]()
八幡山をあとにして、次に向かったのは安土城があった
安土山にタクシーで向かいました。タクシーでは約20分
ほどのところにありますが、今回は時間の都合で入口迄
来て、近くに建てられている「信長の館」と「郷土博物館」
に向かいました。
安土城址は信長ファンが多数訪れているそうですが、ほと
んどの方は肩を落として帰られるそうで・・・期待しすぎだと
は思いますが、そんな状況であるとタクシーの運転手さん
は笑って仰っておりました。
織田信長は安土城を建築し、その強大な力を誇示していま
したが、盛者必衰の言葉通り1582年重臣の明智光秀に謀反
され、49歳の生涯を閉じると共に、豪華絢爛な様相の安土
城も火を掛けられ灰燼に帰してしまったのであります。
かつて信長は徳川家康がに参りました折、松永久秀と云う三
好家の元重臣を紹介し、「この老人は、主家三好家に謀反し、
将軍(足利義輝)を暗殺し、奈良の大仏殿(東大寺)を焼失さ
せた、普通の人間では到底為し得ない、悪逆を行った物騒千
万な老人である。」
と云う様な事を申しましたが、実はこのように申した信長自身、
「主家である尾張守護の斯波家を国外追放し、守護代の織田
本家を乗っ取り、将軍(足利義昭)を追放し足利幕府を滅亡さ
せ、比叡山延暦寺を尽く焼き尽くした。」
のであります。
「草枯らす 霜また今朝の 日に消えて
因果はここに 巡りに来にけり」
「草枯らす 霜また今朝の 日に消えて
報いのほどは 終に逃れず」
三好物外軒実休
織田信長は結果的に明智光秀に殺されましたが、羽柴秀吉・
イエズス会に殺されたと云う説も最近浮上しております。
いずれにせよ異端児であるがゆえ敵は多かったのであります
織田信長がもう二十年長く生きていれば日本の近代がもっと
早く訪れていただろうと云う学者・知識人は多いのであります
が、もし生きていれば、朝鮮は当然ながら、明は政権末期で
ありましたので、当時世界最強の軍隊を保有していた日本の
力をもってすれば切り取る事は可能であったと思いますが、
どれだけの期間保持できたかはわかりません。
なぜなら中国大陸は時代時代の狭間で乱世となり、国土自体
保有する事は案外簡単の様ではありますが、政権をどれだけ
保持出来るかどうか、それが一番難しいのであります。
(今までの最高は漢帝国の前漢・後漢合せて400年であります
。(但し途中で「新」に10年程分断されています。)
周については前1100から細々と前200頃まで命脈を保ちまし
たが、国家の規模としては小さく、統合するものの名称は「王」
でありまして、秦王政から称した「皇帝」とは比べ物にならぬほど
権力は小さく、部族の長か、せいぜい祭祀君主程度であったの
でありましょう。
さらに余談ではありますが、「秦」「晋」「越」は漢民族の国ではな
く異民族なのであります。
※「信長の舘」の写真につきましては、著作権があることから公開
は出来ませんが安土城の天守閣が展示されています。
先週の23日に滋賀の近江八幡に行って参りました。
用むきは年老いた母が50年来の友人と42年ぶりに再会
するため、水先案内を務めることとなり、ついでに観光もし
ようという事で、高速バスで東京から京都まで夜行で向かい
京都からは快速電車で近江八幡に40分かけて向かいまし
た。
天候は晴れでその日は久しぶりに暑かったようで30度近く
まで気温が上昇したようです。
一番先に八幡山にロープウェイで登りました。
所要時間は約10分程度で、少し歩くと琵琶湖が見える
展望台まで行けます。
最近では湖はブラックバスが増えて、昔ながらの魚が
激減し、名産の鮒ずしを作るのも難しくなっているらし
く、キャッチ&リリースが結果的に生態系を破壊してい
る事に釣り人は気付くべきなのでしょう。
この山の反対側からは織田信長公がかつて建築した
安土城があった安土山が一望できます。
高い山の手前左側の少し高い山が安土山です。
意外に低かったので驚きました。
手前のピンク色のお花きれいですねぇ~~![]()
クマ蜂が蜜を吸うためブンブン飛んでいました![]()
昨年の12月2日に横浜市鶴見区で抜刀道の全国大会
がありました。
それに3・4段の部で出場し、「試斬の部個人」で優勝し
「試斬の部団体」で準優勝してしまいました![]()
![]()
前の年はイングランドやクロアチアやオーストラリアや
アメリカなどが来ていたようですが、今回はオーストラリア
とアメリカのワシントンとサンディエゴが来て共に競いま
した。
宗家の中村泰三郎氏の形見の刀剣を使い、優勝を意識せ
ず演武を行った結果、上記のとおりとなりました。
ちなみに形の部では惜しくも5位となり、入賞はしませんでし
たが、健闘は致しました。
今年は11月の第4週に大会があるので、また頑張りたいと
思います。
以下の写真は12月の大会での写真です。
二週間前に受けた昇段審査ですが、結果はすべて「合格
」
でそのうち居合道および真剣刀法においては「「優秀賞
」」
これは100点満点のうち95点以上のものに与えられる賞で、
今までは初段の時に頂いており、二段はダメでしたが、三段
で再び頂戴する事が出来ました![]()
![]()
実は18日に抜刀の大会があり行って来ましたが、結果は惨
たるものでしたが(寝不足による体調不良・・・しょせん言い訳
ですが・・・
)
この賞を頂ければ何もいう事がありません。
さーて来年は真心流居合道四段、真剣刀法四段、杖道二段
、戸山流居合抜刀道四段、中村流八方斬り四段を受験致し
ます![]()
さぁ~大変だぁ![]()
![]()
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| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
| 29 | 30 |